手紙〜10年後の私へ〜上京編②
【前の話】→上京編①
2016年6月。
島根から戻り、相変わらず病院で働く日々。
この時期、仕事のミスの連続が目立ち、上司と面談する日がありました。
「私の価値はここだけでは決まらない!」
面談を終える頃、私は号泣していました。
悔しい。悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい!
頑張りたい。逃げたくない。
でも・・・
ここにこだわって踏ん張って、もがいて、頑張って頑張っても、もっともっと患者さんや先輩たちを、傷つけてしまうんじゃないかな。
だって私、病棟ナースに求められることが苦手すぎる。
できなすぎるよ。苦しいよ。
私、こんなにも、出来ること少なかった人だっけ?
私、こんなにも、出来ないことばっかりの人だっけ?
就職して1年半、何度もそんなことを思いました。
その面談の数日後、先輩からこう言われました。
—佐藤さん。
ここだけじゃ、ないんだからね。
佐藤さんが、佐藤さんらしく働けるところを、選んでもいいんだよ。
佐藤さんの人生なんだから。
そのとき、
秋田で、楽しく暮らしやすい地域を作ろうとしている方々に憧れていた大学時代を思い出しました。
「人を巻き込むこと」
「新しく何かを始め、第一歩を踏み出すこと」
「誰かの『楽しい』や『幸せ』について本気で考えること」
私は、こういうことが好きで、得意なんだと思っていました。
でも、大学での勉強の多くは「病棟で求められること」のため。
それと「自分が得意なこと」は、あまりにギャップがある気がしていました。
先輩から話を聞いた後、そんな当時の感情がフラッシュバックしました。
2016年7月。
私は一度、今いる病院というフィールドから離れようと決意しました。
「コミュニティーナースって、私だった!」
2016年8月。
京都府綾部市でのフィールドワークがありました。
住民さんから、嬉しいことに「コミュニティーナースとして、綾部にぜひきてね!」と何度も言われました。
コミュニティーナースに必要なものって、
「はじめる・立ち上げる気持ち」
「『楽しい』をつくる気持ち」
だと思ったのと同時に、
「これ、私が得意で、好きなことだ!」
「これをやるのは私なんじゃないか?」
とも、思いました。
仕事も辞めるし、地域の中で働きたい。
だから綾部で何かしてみたい気持ちは確かにある。
でも、京都か。綾部か。縁もゆかりも、何もない。
何をするかもわからない。
そんなにすぐには決められないよー!
そんな二日目の夜、矢田さんと話していた時に言われた言葉。
—世で成功者と言われてる人なんて、その何百倍も見えないところで失敗しまくってるよ。
トライ&エラー、その繰り返しよ。
そう言われて、気づきました。
「ああ、私、ビビってるだけなんだ。」
綾部を離れた日。
綾部の皆さんの顔が、言葉が、忘れられませんでした。
あったかくてあったかくて、忘れられなかった。
この人たちのためなら、この人たちとなら。
フィールドワークの次の日、矢田さんに宣言しました。
「私、綾部に行きます!」