Dec 6, 2016

手紙〜10年後の私へ〜上京編①

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「幸せな最期をつくるということ」

2015年4月。

秋田を出て、東京へ来た私。
最晩年を豊かにすることを理念に掲げた病院に就職しました。

「多くの人に、死ぬそのときまで、幸せでいて欲しい」

そんな気持ちがずっと心の中にあったからです。
実際に現場で働いてみて、感動すること、勉強になることの連続でした。

その一方で、大学の時、地域活性化の活動が好きで、その分野に関わりたいとも思っていた私。
でも、「地域を元気にすること」と「看護職」を同時に仕事にするなんてできないと思っていたし、やり方もわからなかった。
就職してからも、地域活性をやってみたいという気持ちは消えませんでした。

「でも、今の病院を出ても次のキャリアなんて思いつかない。」
「そもそも私、今の職場で全然使い物になってない。」
「とりあえず今は、ここで頑張って仕事しよう。」

そんなことを思いながら過ごしていました。

「コミュニティーナース、矢田明子との出会い」

2016年5月。

偶然にも三連休を頂いて、ずっと行きたかった島根県の雲南市に行きました。

なぜ、ずっと行きたかったのかと言うと

大学時代、
地域活性化の事業が好きだった私を、たくさん学外に連れ出してくれた先輩が、「絶対に良い刺激になるよ」と紹介してくれたからでした。

いろいろな人にご縁を繋いで頂いて
矢田明子さんをはじめ、「雲南市の幸せを支えよう」と奮闘している皆さんと過ごさせて頂いて、三日間、感動の嵐でした。

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中でも刺激を受けたのは、
雲南の訪問看護ステーションの方々の

「訪問看護で地域の人々を支えたい」

という、看護の持つ力を信じて止まない思い。

地域を作ろうと熱意を持っている人と、地域を看護で支えようとしている人。
それはミスマッチじゃなく、お互いに協力していけばいいんだ。
矢田さんや、みなさんがしているみたいに。
大学時代には、気づかなかった。

そして、「なんだかんだ言って私、看護が好き」とも思った。
だから、方向性は間違ってない。
まずは、今いる環境で頑張ろう。
そしていつか、病院外に飛び出して、地域のリアルな現場で、人に関わりたい。

死ぬ瞬間だけでなく、生きている時間を幸せなものにしたいから。
雲南で見たあんな景色の中に、自分も飛び込みたいから。
「最期が幸せかどうかは、終末期の関わりだけでは決まらない」と思うから。

そんなことを話したら、矢田さんに言われました。
「あんたさぁ、そんな思いがあるなら、コミュニティーナース研修受けなよ。」

私は条件反射的に、

「受けます!」

と即答していました。

【次の話】→上京編②

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